饗宴

 その館は郊外にあった。
 なぜ身を隠すように山林の奥に佇んでいるかというと、広く知られてはいけない、法に触れるような宴を行う場だからだ。
 今夜もそんな催しが行われている。
 性奴隷のオークション。
 売りだされる人間たちの堕ちた理由は様々で、借金の末に身を売られて調教された者もいれば、道端で誘拐されて強引にこんな道を歩まされている者もいた。彼らはオークションの開始時刻まで、ブリーダーやオーナーに連れられて会場を歩き、訪れた人間に触られ、鑑賞され、吟味されている。
 また、今夜の商品は男性が主だが、豊かなバストと男性器を併せ持つ者や、筋骨隆々とした身体つきなのに去勢された者もいて、性別の線引きはある意味では曖昧だ。
 了理はかたわらの倫二を見る。ダブルのスーツも、軽く撫でつけてセットした髪型も、倫二の色男ぶりを引き立ててよく似合っている。
 その涼しげな顔は、卑猥な質問が飛び交い、商品の鳴き声が交差するフロアの空気をあまり気にしていない。用意された席につき、平静なまま赤ワインのグラスを傾けていた──ビュッフェ形式のメニューから、さっそく持ってきたパスタや生ハムのサラダを味わいながら。
 了理も料理をもらってきたが、あまり食が進まない。
 そんな甥を、倫二は不思議そうに見た。
「どうした、了理、タダなんだから腹いっぱい食っとけ」
「はい、叔父さん」
 了理はフォークでサラダをつつき、頷く。
 背後からは男の悲鳴と、また別の男の嬉しそうな喘ぎが混ざりあって響いてくる。とても食事に集中できる環境ではない。こういった場に慣れるのも叔父の跡を継ぐにはきっと必要なのだろう……そう自分に言い聞かせて咀嚼する。
 倫二に性奴隷を飼う趣味は無いが、仕事柄、主催者とは知りあいらしい。今夜は招待され、了理もついてきた。倫二のところで暮らしだしてから、大学には行っておらず、時間が余っているせいもある。
 要するにヒマなのだ。
 ふと顔を上げると、こちらに歩いてくる者の姿に目が留まり、了理は驚く──食事の動作も止めて注視してしまった。
「…………」
 崇史だった。
 初めて会話した日から亜麻色の髪は伸び、胸元に届くほど長い。
 黒のブラウスは素肌を透かし、挑発するような色気を滲ませる。
 ズボンとブーツも漆黒で揃えられ、革製の重厚な首輪から伸びるリードも黒だ。そのリードを引くのは真堂穎一郎で、性奴隷を連れているというよりも、大型犬と散歩しているような、気さくな雰囲気を纏う。穎一郎も了理に気づき、声をかけてくれる。
「おぉ、これはこれは、また会えたね」
「あ……、ご無沙汰しています……!」
 了理は頭を下げた。真堂邸には時折足を運ぶものの、穎一郎と顔をあわせるのは仮面を着けた夜以来だ。
 穎一郎は嬉しそうに頷いた。
「着々と染まっているようだね、倒錯した世界に」
「はい、お陰様で……黎生先輩や、崇史先輩に導いて頂いたお陰もあります」
「そうかね、そうかね」
 穎一郎は快活に笑い、倫二はそんな穎一郎に挨拶をする。
 談笑を始める彼らの横、了理は改めて崇史を見上げた。
 崇史の表情は今夜も冷めていて、視線はぼんやりと遠くを眺めている。いつもと変わらない崇史の様子に、了理は和んで微笑した。
「驚きました。まさか、この場に崇史先輩も来ているとは思わなかったので……」
 崇史はやっと了理に目線を動かしてくれる。
「そうか」
 了理は気になったことを尋ねた。
「あの、黎生先輩は?」
「今日は来ていない……また体調を崩した」
「えっ……?」
 大丈夫なのかと尋ねようとしたとき、倫二の腕が伸びてくる。
 崇史の腿を撫でまわし、尻も揉む。顔立ちを見上げれば感心したような声も漏らす。
「なるほど、これは凄いな……噂になる訳だ……!」
 こんなことをされても崇史は無表情で、なにも言わない。穎一郎も笑っているだけで止めない。彼にすれば公園で飼い犬を撫でられているような感覚なのかもしれない。
 倫二の手が股間に触れると、さすがに制止する了理だった。
「叔父さん、触りすぎです……」
 当の崇史はまるで気にしておらず「了理」と声をかけてくれる。
「は、はいっ!」
「少し、見たいところがあるのだ。お前も来るか」
「見たいところ? この会場のなかにですか……?」
「そうだ」
 崇史は倫二たちから離れた。了理も席を立つ。穎一郎の手から零れたリードの持ち手を、崇史は自らで取り、了理に差しだす。
「特別に持たせてやろう」
「あ……ありがとうございます!」
 思いきり頭を下げる了理も、倫二と穎一郎は見守るような目で、穏やかに笑う。穎一郎は軽く拍手も送ってくれる。
「良かったな、きみ、崇史に気に入られているぞ」
(気に入られている……崇史先輩に……?)
 受け取ったリードをどきどきしながら握りしめ、歩きだした。崇史は目立つから、多くの視線に貫かれて緊張する。本来なら崇史を連れ歩くような立場でも、器でもないと自覚している。それでも、崇史と共に歩けるなんて、了理にはとても嬉しいことだった。


   ◆ ◆ ◆


 フロアを出て、廊下を歩き、舞台裏にあたる一室に崇史は入っていく。扉には『関係者以外立入禁止』と書いてあるのにも関わらず気にしていない崇史に、了理は尋ねた。
「いいんですか、勝手に入って」
「良くないに決まっている。だから、こっそり見るのだ」
「全然、こっそりしていませんが……」
 垂れた暗幕に囲まれた空間、ペットショップのようにケージが連なり、中には男たちが座りこんでいる。ブツブツと一人で喋っていたり、突然笑いだしたり、逆に黙りこんで動作も表情もない者もいた。
 檻にも入れられずに床に転がっている肉の塊は、手足を切り落とされた者で、虚ろな瞳だ。
 了理は首を傾げる。
「これはいったい……?」
「この者たちも、今夜の商品だ」
 ケージを覗きこみながら、崇史が教えてくれた。
「見ての通り、歩ける状態ではない。オークションの開始までここに保管されている」
 崇史はケージを軽く叩く。中に座りこんでいる男は反応しない。
「愛らしいな。あさっての方を見ているぞ」
「愛らしい……でしょうか」
 了理にはとてもそうは思えない。崇史は隣のケージも覗いた。
「これも壊れている。俺も虐めてやりたいものだ、もっと壊してやりたい」
「あの、崇史先輩が、ご購入すればよろしいのでは……?」
「簡単に言うな。俺のマンションはペット禁止なのだ」
「そうなんですか」
 頷いた了理だったが、すぐに名案が浮かぶ。
「黎生先輩のお家で飼うのは──」
「ただでさえ地下を占領しているのに、さらに持ちこむのは図々しい」
 崇史は覗きこんでいた姿勢を正し、了理を向く。
「だから、一体だけもらっていく。一番の廃人をもらっていく」
「一番の廃人を?」
「この者たちはもう長くは生きられないのだ」
 崇史の虹彩に映っている嬉しさを噛みしめながら、了理は頷いた。
「はい、僕の所感も同じですが……」
「せめて最期は、丁重に葬ってやりたいではないか。そして肉体の一部は、作品のパーツとして、ずっと大切にされるのだ」
 崇史の視線は床に転がる肉の塊へと動いた。近寄ってブーツの爪先でつつく。すると塊はぶるっと震える。
 崇史は唇をゆるめ、膝をつく。なにをするのかと思いきや、彼の首を思いきり掴み、食いこませる指先。了理も思わずそばに寄った。
「崇史先輩、いったいなにを……!?」
 呼吸を塞がれているのに、男の性器は勃ちあがる。それを認識し、了理は驚くしかない。崇史はやっと手を離し、男の瞳は虚ろなままだったが、生理的な反応で噎せだした。
「お前を落札してズタズタにしてやる……もう少し待っていろ」
 崇史に囁かれ、塊は確かに頷き、それだけでなく頬も染める。
 了理はやっと理解し、目を細める。
(そうか……これが……崇史先輩の優しさなんだ──……)
 それを理解できる了理は、病人を傷つけるなんてと咎めたあの夜からは遠く離れてしまった。
 崇史はゆっくりと立ち上がり、了理に向き直る。揺れるリード。
「黎生の父親に拾われていなければ、俺はどうしていたのか。お前とも出会っていなかったな」
「はい……」
「黎生の父親に救われた。そう思うからこそ、俺もまた救いたい。出来る範囲内で、目に留まった者を拾うようにしている」
 崇史が歩きだしたので了理もついていく。部屋を出て、上質な絨毯の敷かれた廊下を歩く。
 了理は崇史に歩を並べた。
「……なぜ、そんなお話を僕に?」
「お前はMではない」
 突然の宣告に、了理は頭を下げる。
「す、すみません……」
 崇史は了理をちらと見た。
「なぜ謝る」
「反射的に」
「しかし、同好の士でもなさそうだ」
「SでもMでもないと……?」
「だが、お前にはなにか、特別な役目があるのかもしれん。叔父の跡を継ぐというのもそうだ」
「…………」
 了理が立ち止まったので、崇史も止まる。
 薔薇の咲き誇る外庭と繋がる大きな扉の前、高すぎる天井に揺れる荘厳なシャンデリアの下で。
 崇史の低い声が、了理の鼓膜を震わせた。
「お前にしか救えない者を救ってやってくれ」
「──……崇史先輩……!」
 思わぬ言葉を伝えられ、感極まり、了理は口走ってしまう。
「あの……あの……あのっ、僕はっ! ……だ、だ──……」
「なんだ」
「だ、だ、だっ……大好きです!!!」
 一瞬で顔を真っ赤にして伝えて、口を押さえて(なんてことを言ってしまったのか!)と後悔する。
 だが、ここまで言ってしまったからには退けない。慌てながら、パニックになりながら、了理はさらに想いを伝えるのだった。
「白状します、初めはルックスに惹かれました。綺麗な人だなぁと驚いたんです……」
 言葉は止まらなくなる、溢れていく。
「同性に対してそう思ったのは初めてでした。だけど……お話をしたり、一緒に過ごしているうちに、居心地も良くなって……崇史先輩とはなにも話さなくても苦ではないし、のんびりできるなぁって……波長が合うと思いました。そして、気づけば、あなたの美学にも、不器用な優しさにも、惹きつけられていて……口づけも……だ、抱いていただくのも、心地よくて……」
「そうか」
「……あ、あの、あのっ、もしよければ僕と、ずっと、死ぬまで……お友達でいてください……!!」
「生涯とはまた大きく出たな」
 混乱している了理とは裏腹に、崇史はずっと平静なままだ。
「先のことは分からないが、とりあえず、了承すると答えておこう」
「ありがとうございます……!!」
 ひときわ大きく頭を下げる了理だった。絨毯を見つめながらほっとする。迷惑だと言われなくて良かった。
 リードがピンと張ったので、了理は姿勢を正す。
 崇史は外に向かいたいらしい。
「オークションの開始まで、まだ時間がある、夜風を浴びにいく」
「はい、崇史先輩、僕も行きます──」
 了理は満面の笑みを浮かべてついていく。すでに薔薇の香りが、鼻先をくすぐる。それは真堂家の薔薇庭を思わせる馨しき香りだった。